アバンセライフサポート・ファウンダーのつぶやき

過去から現在を学ぶべきことは?

  5月23日、ある女子プロレスラーの方がまだ22歳という若さで亡くなりましたね。SNS上での誹謗中傷に悩み、精神状態が不安定だったとのこと、私などは「そんなの見なければ良いのでは」と思ってしまいますが、なかなかそうはいかないようです。
  5月26日、高市早苗総務大臣は記者会見の席で、「匿名で人を中傷する行為は人として卑怯で許し難い」、立憲民主党の蓮舫副代表もTwitterで「見えない悪意に怯える怖さ、繰り返される執拗な中傷誹謗。どれだけ恐いか。よくわかります。」との思いを述べました。SNS上で誹謗中傷の限りを尽くした人たちも発言を一斉に削除、鳴りを潜めることになり、その人たちも今は亡くなった彼女へ好意的なメッセージを流していることでしょう。

  夏目漱石の小説『吾輩は猫である』にこんなくだりがあります。少し長いですが、今回の事件を100年前に予言しているようです。

ことによると社会はみんな気狂の寄り合かも知れない。気狂が集合して鎬を削ってつかみ合い、いがみ合い、罵り合い、奪い合って、其全体が団体として細胞の様に崩れたり、持ち上ったり、持ち上ったり、崩れたりして暮して行くのを社会と云うのではないか知らん。其中で多少理屈がわかって、分別のある奴は却って邪魔になるから、瘋癲院(ふうてんいん)というものを作って、ここへ押し込めて出られない様にするのではないかしらん。すると瘋癲院に幽閉されて居るものは普通の人で、院外にあばれて居るものは却って気狂である。気狂も孤立して居る間はどこ迄も気狂にされて仕舞うが、団体となって勢力が出ると、健全の人間になって仕舞うのかも知れない。

出典:夏目漱石『吾輩は猫である』

  個人の意見のように見えて他人志向、相手がどんな反応をするのかをいつも考えながら、自分の意見と行動を決めていく。それがバーチャルな空間、そして匿名で行われ、実態とかけ離れたポピュリズムが独り歩きを始め、手が付けられなくなったのが今回の事件です。政治はデモクラシーの番人の役割を放棄し、不特定多数の、それも匿名の渦に巻き込まれ、独り歩きしています。政治がその時々の人気不人気を気にして節操のない発言ばかりしていては目も当てられませんね。
  今年1年は新型コロナウイルス禍で過ぎそうですが、日本は死者898人(5月31日現在)、日本の総人口の約半分しかいないフランスが死者2万8,771人、共に死者の年齢別割合は65歳以上が98%、75歳以上が約70%を占めているようです。2年後の公衆衛生、高齢者福祉、医療経営、私たちの介護施設経営などは、日本とフランスでは相当違った姿になっていることでしょう。
  1918年のスペイン風邪は約3年に渡って猛威をふるい、世界で推定5,000万人が死亡、日本でもおよそ40万人が死亡したとされますが、その後何が起こったのか。ファシズム運動ですよね。ドイツ、日本、イタリアの全体主義活動が第二次世界大戦を導いたことは、日本も当事者なのでみなさんもよくご存じですよね。ファシズムから民族主義につながり、自分ファーストで周辺国とトラブルが起き、じれったい議会制民主主義より一党独裁となりつつ走っていきます。まさに現在のアメリカと中国の関係ですよね。県を跨ぐことまで自粛を要請されるなんて、まさに江戸時代に戻ったような感じですね。日本は経済的な打撃は受けましたが、人口的なダメージはほとんどなく、少子高齢化は国家的課題として厳然たる事実として臨まざるを得ません。安倍政権の100兆円にも及ぶ新型コロナ対策予算は全て国債で賄われます。それは10年後、20年後、私たちの子どもたちが返済するのです。

2020年6月28日(火)

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