人生を生きる意味
先日、私の孫が「じいじ、ぼくは死んだらどうなるの?」と聞いてきました。孫はまだ小学生です。上の孫はもう大学生です。大学生の兄は、「自分探し」と称し大学を1年休学、アルバイトとバスケットボール三昧の生活です。私もそんな時代があったんだと思い、彼らの悩みや苦しみを脱皮の前兆だと思い、ほほえましく、また頼もしく見ています。
人間は自分が経験した世界しか理解できないといいます。ドナルド・トランプ米大統領は不動産屋さんですから、当然のことながら不動産商売の勝った・負けたの世界で生きてきました。不動産をいくらで買うか、いくらで売るかは基準値より高ければ勝ち、低ければ負け、それ以外はありません。この商売の論理で、国と国との取引も考え、「アメリカ・ファースト」を国是で押し通すことになります。窮屈な政治・外交となりますが、敗者をつくらない「Win-Win」なんて、トランプさんには考えられません。不動産業界で戦って勝ち抜いてきた人ですから。自分の人生観に絶対の自信を持っています。我々一般人と育った環境が違う、人生のベースが違うので、我々が見えている世界とも違う。仕方がありません。4年間の我慢ですね。
話を戻します。私は小学生の頃、死ぬことが怖くて、死んだらどうなるのか怖くて怖くて、いつも空を見ながら、夜空に吸い込まれるような不安な思いで毎日を過ごしていました。ある時、ギリシャの哲学者ソクラテスの言葉で、「自分が知らないことを知っているのは、知らないということを知らないよりも優れているのだ」というのをソクラテスの弟子プラトンが教えられたことを知り、あの有史以来の哲学者でさえ知らないことばかりなのだと少し安堵したことを思い出しました。我々には分からないことばかりなのだ。人間には光の届く距離しか見えない、空がどの位大きいのか、星の向こうには何があるのか、宇宙の大きさは、なんて考えても仕方がないのと同じく、宇宙の誕生から147億年といいますが、その前はどうだったのかより、自分の80年・90年をどう生きるかがもっと大切で、目の前の一日一日を「自分が消滅するまでどう過ごすか」に目を向けるように考えました。このままでは「死に憑りつかれた人生」になってしまう。そう考え、分からないお化けやあの世をとりあえず棚上げして、自分探しの旅に出ることにしたのです。「人生に生きる意味はあるのか?」こんな大きな命題に75年生きた私に答えなどあろうはずはありませんが、孫たちが、その入り口に立ち始めたことを本当に嬉しく感じて報告させていただきました。
2025年1月30日(木)