自分自身が楽になる思考回路
先日、ある介護施設を訪問したところ、土曜日なのでデイサービスは休みのはずが、見渡すと一人の女性が隅っこにぽつねんと座っておられました。私も暇なので隣に座り、しばし話し合いました。その女性はこの施設の近くに住む人で、ご主人は10数年前に亡くなり、自宅は息子夫婦と孫が住んでいるとのこと、「認知が少しあるようだが、まだまだ在宅生活が可能なのになぜ」と思いましたが、話を聞かせていただくうちに全体像が、日本の難しさが見えてきました。田舎では彼女はいくつになっても「お嫁さん」で、ご主人が亡くなると家督上の戸主は息子さんで、自分は一歩退かざるを得ない。これは1947年までの旧民法上の制度で、現行法では廃止されていますが、日本では文化として厳然と残っています。邪推かもしれませんが、薄暗いデイサービスに佇む彼女からそんな思いが伝わってきました。文化とは DNA にまで遡るのかと思えるほど根強いもので、以前捕鯨漁で日本は多くの国から総スカンをされたことがあります。ヨーロッパは鯨油を取るだけ、日本は捨てるどころか様々な部位をほとんど活用、無駄なく命をいただきます。しかし、世界は「知能の高い鯨を殺すなんて到底許されるものではない。即中止だ。」と叫びます。スペインの闘牛やイギリス貴族のウサギを繁殖させて狩猟することの方がもっと残虐な所業ではないか。あの可愛いカンガルーを食する文化は日本にはありません。どこまで行っても交わらない議論をみなさん思い出しませんか? 戦後沸き上がった民主主義、100年経つと地球上の人間が全て入れ替わるのに、文化は受け継いでいく人間社会、老夫婦の無理心中は夫が妻を殺めるケースが圧倒的に多いと言います。人種の問題だけではありません。男性は介護の手助けを他人に頼むことを潔しとせず、自分で抱え込み、息子や孫、近隣の機関にもお願いせず、思いつめる傾向があります。特に高学歴の人にその傾向が強いとはよく言われることですね。これも男のあるべき姿、女のあるべき姿が固定された結果の現象で、ジェンダーフリーはどこに行ったのと旧来の価値観を亡霊のように引きずっているのでしょうね。
4月から始まった NHK 総合テレビの朝ドラ『虎に翼』を見て、戦前と戦後でこれ程法律も制度も変わったんだなと理解できましたが、人の心はそんなに簡単に変わるものではないこともよく分かります。ちなみに「虎に翼」とは、中国の思想家、韓非子の言葉で、「鬼に金棒」と同じく「強いうえにもさらに強さが加わる」という意味があり、日本書紀にも引用されているようです。私たちにはもう少し自分自身が楽になる思考回路が必要かもしれません。
2024年7月1日(月)