アバンセライフサポート会長のつぶやき

幸せに人生を全うできる人生観、職業観を持ちたい

  3月23日と4月14日の2日間、能登半島地震被災地にて炊き出しボランティアを行いました。3月23日~24日は㈱アウトソーシングと㈱アバンセコーポレーションの混成部隊、1日目は穴水町、2日目は輪島市、4月14日はブラジル人のみで25名余りが集まり、輪島市で450食余りを提供、食材は多めに持って行ったので、行政のみなさんやボランティアのみなさんにも食べていただきました。警察のみなさんも全国から来ておられ、道を尋ねてもよく分らない人ばかり。行政職員のみなさんも80%ほどは別の地域から派遣された応援職員で、私たちが「次の活動は復旧の炊き出しから復興事業へと考えているので、相談の窓口担当は」と尋ねても、「私は愛媛県から」、「私は滋賀県だ」と言って、誰も自分の仕事をよく分っていない。挙句は「私は何のためにここに居るのでしょうね。言うところの貢献感が感じられないんです。」とまで言い出す始末。20代の青年世代に寄り添う価値を理解するのは難しいことなのですね。自助、互助、共助、公助は地域ケアの基本ですので、福祉のみなさんはよくご存じなのにね。
  30年余り前から始まったゆとり教育の致命的な欠陥はそこにあると考えます。自分より弱い人に気を配り、家の中で役割を与えず、勉強だけしていれば良いと言う。地域の中にも役割がなく空気のような存在になる。引きこもりになっても誰も関心を持たない。嫌なことは嫌だと言えばしなくて済む。自分の部屋に入れば誰も干渉してこない。冷暖房も効いており、心地良いことこの上ない。これではいつまで経っても大人になることはない。自分の得になることしか関心がない。与えること、ボランティア的な共助に全く興味のない人が増加している背景、子どもを持つことまで自分のデメリットと考える人が増えているところに少子化の大きな要素があるのかもしれませんね。
  日系ブラジル人1世は子どもを5~10人産むのを当然だと考えていました。14人兄弟で内4人が面接に来た時、私は一人ずつに14人の名前と年齢を書いてもらい、皆が同じ答えだったことに驚いたことがありますが、兄弟の年齢を知っているなんて当然のことなのでしょうね。炊き出しでも、日本人はいつも何か役割があると安心出来るのでしょう。皆が一様に動き出します。ブラジル人は人が余って役割がなければ遊んでいます。炊き出しが始まり、人手が足りなくなれば足りないところに人が集まります。日本人とブラジル人、ボランティアも一緒にするのはストレスになりそうですね。日本人は自分が何を幸せに考えるのかより、他人が見てどう見えているのかで決めることが多いようです。
  5月16日、長崎県南島原市の市議会議員10名余りのみなさんが島根県出雲市まで視察に来られ、私が携わってきた外国人施設や、市の対応について意見交換しましたが、これも自分たちがどう考えているかより、出雲市、そして私たちの活動を見ながら考えたいとの要請であり、自分たちが南島原市をどうしたいかの意思はなさそうです。良いと言われる高校に行き、良いと言われる大学を目指し、大企業に就職したいと考える発想は必ず「勝ち組」と「負け組」をつくり出します。他人が評価する仕組みも結果は同じですね。自分が何を幸せと考えるのか、自分が何をしたいのかを考えてから職業を選ぶ発想に変えないと、日本は幸せな国になれません。イタリア人(ラテン系はおしなべてそうですが)は仕事に誇りを持ち、子どもに自分と同じ職業に就かせたがりますが、日本人はそんな選択をしませんね(勝ち組と称する人たちは別ですが)。やはり、幸せに人生を全うできる人生観、職業観を持ちたいものですね。

2024年5月31日(金)

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