夏休みに人間の歴史を考察した
夏季休暇をいただき、涼を求め東北地方まで足を延ばしました。でもやはりどこもかしこも暑いですね。縄文遺跡で有名な青森市内の三内丸山遺跡にも行きましたが、ここも暑かったです。この遺跡は縄文前期から中期にかけて1500年間にわたり500~600人程が定住していたようで、集落跡からは住居や墓、大量の土器、装身具が出土、ゴボウ、ヒョウタン、マメなどの植物を栽培した跡もあり、私たちが学校で習った「縄文人は狩猟民族、弥生人は農耕民族」とは根本的に違う画期的な大発見でしたね。
そこで覚えたばかりのうんちくを披露させていただくと、従来旧石器時代に大陸から渡ってきた人々が縄文人で、そのほとんどが①朝鮮半島~対馬ルートと言われていましたが、②シベリア~北海道ルート、③台湾~沖縄ルートと3種類あると言うのです。縄文人でもDNAは少し違うのですね。弥生人はA、Bのルートで渡来しているようです。日本国内で交配が進み、大和民族という新たな人種(日本人)が形成されていきます。北海道と沖縄には交配が行き渡らなかったようです。「うちなんちゅ」と「アイヌ」として少し残っています。
三内丸山遺跡を歩いていると不思議な気持ちになります。大通りがあり、住宅に入る小道がある。住宅には土間があり、台所があり、居間、寝床のスペースがある。外へ出れば、便所があり、ゴミ捨て場(貝塚)がある。5000年前と現代が時間を越えてつながる。時間は限りなく離れていますが、縄文人と私の精神はつながり、私の目の前で生活が繰り広げられているような気がしてきます。墓には子どもの遺骨もありました。飼い犬の骨もありました。土器には生活模様が描かれています。祭事もありました。人生の機微もあったでしょう。私の目の前には彼らの1500年間が、何十世代にも渡って凝縮された人生が浮かんできます。
もっと一瞬にして2000年の時空を飛んだ事例がありました。以前旅行で訪問したイタリア南部の古代都市ポンペイの遺跡です。西暦79年8月24日、ベスビオ火山の噴火により火山弾、火山灰が一瞬にして5~20m降り積もり壊滅した町です。車道、歩道、風呂屋さん、住居、神殿、売春宿まであり、みなさん生活のスタイルそのままで亡くなっています。時計の時間と精神の時間は全く別ものだと感じさせ、一瞬にして2000年の時を越え、カエサル、クレオパトラの世界に引き入れられることとなります。風景や色彩ではなく、目の前の道には轍があり、風呂場があり、2000年前の息づかいまで聞こえる生活そのものがあるのですから。
虚無的な人生観を書いたイギリスの作家サマセット・モームは、『人間の絆』でこんなことを言っています。
賢者は、人間の歴史を、わずか一行にして申し上げた。こうだった。人は、生まれ、苦しみ、そして死ぬ、と。人生の意味など、そんなものは、なにもない。そして人間の一生もまた、なそして死ぬ、と。人生の意味など、そんなものは、なにもない。そして人間の一生もまた、なんの役にも立たないのだ。彼が生れて来ようと、来なかろうと、生きていようと、死んでしまんの役にも立たないのだ。彼が生れて来ようと、来なかろうと、生きていようと、死んでしまおうと、そんなことは、一切なんの影響もない。生も無意味、死もまた無意味なのだ。おうと、そんなことは、一切なんの影響もない。生も無意味、死もまた無意味なのだ。
要するに、「人は生まれ、苦しみ、そして死ぬ」と言っているのですが、彼に三内丸山遺跡とポンペイ遺跡を見せてあげたいですね。人の営み、人間の歴史とはなんと素晴らしいものかと。
2024年8月29日(木)