私の考えるSDGsの社会
先日、外部の会合でSDGs(持続可能な開発目標)とダイバーシティについて講演した際の内容を一部抜粋して紹介します。
■私の考えるSDGsの社会とダイバーシティ&インクルージョン
ダイバーシティとSDGsを考える上で重要なキーワードは、全編に貫かれる「誰一人取り残さない」という決意です。この理念は二つの意味があり、一つは多様性の尊重で、障害を持った人、性的少数者、民族的少数者、母子家庭、高齢者など社会的に弱い立場に置かれがちな人々も社会活動に平等に参加出来る環境づくりをすることです。もう一つが格差・不平等の解消です。多くの人が感じているように、世界は格差と不平等で溢れています。『99%のための経済』を読んでも、富める者と貧しい者の格差は、これまで考えられていたよりも大きく、その格差は今なお年々広がっていると言います。1%の富裕層が所有する富は、その他99%の人々の全てを合わせた富より大きく、世界で最も豊かな8人が世界人口の経済的に恵まれない下から半分に当たるおよそ36億人分に相当する資産を所有しているというのが現在の世界です。経済学の古典書『国富論』では、市場に手を加えず、神の見えざる手に導かれるかのように委ねることで賃金も物の価格も決まっていくといいますが、「?ばっかり」、労働集約的なエッセンシャルワークはリスクを取らされるばかりで、賃金は上がることはなく、市場原理は自己責任で全て切り捨てることになっています。困ったものです。
今回の新型コロナ禍でもっと大きな不平等が見えてきました。それは機会の不平等です。教育はそれを打ち消す最大の投資ですが、その投資効果は絶大で、東京大学卒の家庭の約半数は別荘を所有しているといい、先日も東大卒で投資ファンドに勤める青年に東大卒のメリットを聞くと、「人生の選択肢が全く違う」と言います。彼はお金を求め勤めて5年で年収4,000万円の先輩に誘われ、外資系の投資ファンドに入社しましたが、今の年収を尋ねると「4,000万円です」と答えました。高校卒に比べ年収比で10倍以上、圧倒的な格差や不平等が社会には存在します。
2020年のOECDの調査報告書では、貧しい家庭出身の子どもが平均所得に達するには、少なくとも 5世代または150年かかると試算しています。やっかいなのは、人間は富を多く手にするほど慈悲や同情の気持ちが減り、権利意識や自己利益についての観念が強くなるといい、類は友を呼び、周りの友人も勝ち組が増え、自身の優越的な地位が自分の能力だと思うようになり、自分より下にいる人を蔑んだりするようになる傾向にあることです。社会的弱者が差別を受けたり周辺化される階層化現象は、強者の思い込みに大きな原因があると考えます。
国連全加盟国の共通意思としてSDGsの全編に人権尊重の考え方が盛り込まれています。しかし、「2030アジェンダ」に数値目標は含まれていません。ビジョンとして、「人種、民族、文化的多様性が尊重され、最も脆弱な人々のニーズが満たされる世界を目指す」と書かれています。数値目標を示すことでまた軋轢が起きます。国ごとの文化や経済状況も異なります。一人ひとりが意識することで、社会はわずかですが変わるのを待ちましょう。私も会社から出る賃金は生活費や遊興費として家族でいただきますが、配当金は社会的共通資本と考え、家族は反対しますが寄付行為に使っています。新自由主義の最大にして致命的な欠陥は、労働参加しない株主が会社の意思決定者であることです。株主資本主義の株主を労働者を支える側に参加させ、「ワンチーム」にして全体の利益を優先する公益資本主義に近づけることが出来ないかという実証実験のつもりで行っています。どんな企業活動にも功罪があります(自動車の利便性や GDPへの貢献度は大きいが CO2排出、事故などのマイナス面も大きい)。株主が配当金を社会の痛みに沿った手当に使うことで尊敬される企業となり、子どもたちも安心して勉学やスポーツに勤しみ育っていく包摂的でより温かい安心社会が出来ないかと考え、微力ではありますが無理せず急がず、数十年のスパンでの変化を期待しています。
2021年7月30日(金)