アバンセライフサポート・会長のつぶやき

コロナ禍の読書旅行

  新型コロナ禍のお正月をみなさんはどのように過ごされましたか。昨年末、私の友人一人がコロナで亡くなりました。享年 79 歳、ご冥福をお祈り致します。これは他人事ではなく、自分にも十分起こり得ることと肝に銘じなければなりませんね。私は大晦日と元日半日は家族と一緒に過ごし、それ以外はたっぷり時間があったので、こういう時のために以前某中古本ショップで買っておいた本を読みました。そのお店には100 円コーナーがあり、100 年ほど前の作家の本を 14 冊、それも 20%引きで計 1,230 円也、リーズナブルなお正月を過ごしました。購入した本を一部紹介します。

■ガストン・ルルー著 『オペラ座の怪人』
■サン=テグジュペリ著 『星の王子さま』
■ドロシー・ギルマン著 『クローゼットの中の修道女』
■ハインリヒ・シュリーマン著 『古代への情熱』
■マーク・トウェイン著 『不思議な少年』
■夏目漱石著 『道草』
・・・etc.

  主人公はサタンに連れて行かれ、ある若者が罪で拷問を受けている場面を見せられる。若者は爪の間に細い木片をねじ込まれ、あまりの痛さに悲鳴を上げる。主人公はたまらなくなり、サタンに「何という残忍な獣みたいなやり方だ」と言うと、サタンは

「なに、そんなことはない。あれこそが人間のやり口なんだよ。獣みたいだなんて、とんでもない言葉のはき違い だな。獣の方が侮辱だと怒るよ。 〔中略〕 いかにも君たち人間という卑しい連中のやりそうなことなんだな。嘘ばかりついて、ありもしない道徳なんてものをふりかざしたがる。そして、実際はほんとうに道徳をわきまえている、 人間以上の動物に対して、道徳知らずだなどとけなしつけてるんだな。第一、獣はけっして残忍なことなどしやし ない。残忍なことをやるのは、良心なんてものを持っている人間だけなんだ。そりゃ獣も他を傷つけることはあるよ。だが、それは無心でやってるんであって、したがって、けっしてそれは悪じゃない。第一、獣にとっちゃ、はじめから悪 なんてものはないんだからね。獣には、他を傷つけてよろこぶなんてことは、けっしてない。それをやるのは人間だけなんだ。 〔中略〕 人間ってやつは、ただくだらないけちな感情と、これも愚劣でけちな虚栄心と生意気さと野心とを持ってる、ただそれだけなんだ。笑って、溜息をついて、そして死んで消えちまう、馬鹿げた、くだらない一生にしかすぎないんだからね。思慮なんてものは薬にしたくもない。あるのはただ良心だけさ。」

(引用:マーク・トウェイン著・中野好夫訳 『不思議な少年』、岩波文庫)

  サタンの言う「良心」とは、キリスト教的価値観であって、面倒臭い理屈ではありません。一生懸命働き、より多くを生産し、そこで得たお金を隣人愛に使うことが神の教えにかなっているとする倫理です。

  一方、同じく約 100 年前の夏目漱石の小説『道草』は、漱石とその妻鏡子(日本5大悪妻の一人と言われている)との実際の関係が反映された小説とされています。彼の悪妻観については、多くの女性を敵に回すことになりますので、ここでは述べませんが、こんな一文がありました。

翌朝(よくあさ)彼は自分の名を呼ぶ細君の声で眼を覚ました。
「貴夫(あなた)もう時間ですよ」
まだ床を離れない細君は、手を延ばして彼の枕元から取った袂時計(まくらどけい)を眺めていた。下女(げじょ)が俎板(まないた)の上で何か刻む音が台所の方で聞こえた。
「婢(おんな)はもう起きてるのか」
「ええ。先刻(さっき)起しに行ったんです」
細君は下女を起して置いてまた床の中に這入(はい)ったのである。健三はすぐ起き上った。細君も同時に立った。

(引用:夏目漱石著『道草』、新潮文庫)

  漱石は、当たり前の如く「下女」と呼び、階級差を意識して固有名詞を使いませんでしたが、この作品が書かれた 1915 年(大正4年)であっても、江戸時代からの階級制度が厳然と成立していることに驚かされます。
  小説の全体を読んでいただかないと分からないかもしれませんが、先ほどのマーク・トウェインでは、お金儲けや倹約は称賛、尊敬されたのが、漱石は唾棄すべき行為と考え、これもまた江戸時代の士農工商を引きずっていると考えたのは私だけでしょうか。漱石がイギリス留学に適応できず、下宿屋の女主人が心配するほどの「驚くべき御様子、猛烈な神経衰弱」に陥り、文部省から「急きょ帰国命令」が出たのも、先ほどのマーク・トウェインのキリスト教的人生観、宗教観とは相容れなかったこともあるのでしょうね。約1,200 円の私のお正月読書旅行、楽しさの一端が分かっていただけましたか。

2021年1月29日(金)

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