民主主義社会はかくあるべし
以前私が名城大学の非常勤講師をしていたこともあり、先生方とのお付き合いも多く、そのお一人であるスリランカ出身の名城大学名誉教授クマーラ氏と久しぶりに懇談しましたが、スリランカは素晴らしい歴史を持った文化度の高い国なのに、現状の政治不信、内乱状態を嘆いておられました。
スリランカ国の3人の王子を主人公にした『セレンディップの三人の王子たち』という有名なおとぎ話があります。(スリランカをアラビア語でセレンディップと言います。)旅に出た王子たちはペルシャの国でラクダに逃げられた男に出会います。その男はぶつぶつ言いながら通り過ぎていきますが、数時間後王子たちは別の通行人に出会います。その通行人はしばらく考え、周囲を見回りながら見てもいない逃げたラクダの特徴を言い、ラクダの逃げた方向まで言い当てました。「どうして見たこともないラクダの特徴、そして逃げた方向まで分かったのだ」と王子たちが問うと、「道端の左側の草が食べられていたから片目が見えないこと、草をかんだ跡から歯が1本抜けていたこと、道にあった足を引きずった跡から足が悪いことを知った」と答えました。この話は物語ですから多少現実離れしていますが、私も同じような経験をしたことがあります。私の妻の父親は盲人です20年程前に亡くなりましたが、20年以上私は妻の家で同居、「マスオさん」を経験しました。妻は二人姉妹の長女だから仕方がないと思っていましたが、今思い返すと素晴らしい体験をさせてもらっていたのだと感じます。私と話すとき、視線が合っていないと声の距離感が少し違うのですね。心がこもっていないことはすぐに分かるようです。外国映画の吹き替えなど、私はこの声優さん上手だなと思っても、義父にはバレバレで、俳優さんも多くが自然体ではなく心もこもっていなくて、役として演じているだけでくそみそだったことを思い出します。目が見えないことで、戦時中は非戦闘要員として理不尽な仕打ちを受けたようで、日本国の国体、歴史観に私たちとは異なった考え方を持っていました。事程左様に人は自らのハンディキャップ、育った環境に人生観を左右されるので、十人十色、百人百様になり、人間関係の折り合いは難しいのですね。
日本は、サラリーマン人生を終えた人たちがそのまま70歳を過ぎ、「団塊の世代」が老境を迎え、呻吟しています。みなさんは企業規模を競い、肩書序列の世界で生き、人事評価や仲間評判の中で生きてきました。
そのため周りの評価がいつも気になり、周囲の人たちと比較して自分をランク付けします。しかし、70歳を過ぎてそれはどんな意味があるのでしょうね。定年過ぎの年金世代になっても競争・比較の社会を引きずっているのでしょうね。私も老境を迎え、「働く」とは何か、「家族」とは何かと考えると、全て幸せになりたいからなのですね。
それでは、その「幸せ」とは何か。遮二無二働いた仕事人生の終盤を迎え、戦後の高度成長を支えた私たち団塊世代は、戦後の「24時間戦えますか」という競争社会の生き方そのものの羅針盤の見直しが求められているのですね。企業を卒業し、「私益」の世界ではなく「共益」(地域の利益)、「公益」(社会全体の利益)の世界で生きることが求められているのですね。
北欧諸国、ドイツ、オーストリア等ゲルマン系諸国は年金制度が充実しています。キリスト教は死んだら神のもとに行く、自分の人生は自分のもの、自分の生涯は自分が決め(自己決定)、自らの意思で最後は終えます。だから年金まで貯蓄しようなんて絶対に考えません。子どものために家を残そうとも考えません。ところが、日本人は仏教的人生観が根底にあり、「輪廻転生」血統主義的な人生観があり、資産や人脈、信用や栄誉、血脈を子孫に残すことがDNAに組み込まれているのではないかと思うほど、子孫に何かを残そうとします。私の友人でも、親から受け継いだ繊維の仕事を構造不況業種で主産地が途上国に移っているのに、子どもに継がせようとしている経営者がいます。自己満足としか言いようがないのに…。
私たちの介護施設に入居するには12~18万円/月は最低必要ですが、年金が夫婦で20万円/月あっても、どちらかの介護が必要になると、その後生活が成り立ちません。「自宅を処分すれば」と話すと、「この家は子どもたちが育った家で、子どもに残してやりたいのでダメだ」と言われることがあります。築40年の家は資産ではなく負債だと言っても理解が難しい日本人。使い切って財布の帳尻がマイナスになっても最後は行政が面倒を見てくれます。日本人は税金を「取られる」と考えますが、スウェーデン人は税金を「預けてある」と考えています。だから最後の帳尻の誤差は少し返してもらうだけ。成熟した民主主義社会はかくあるべしの見本となる考え方ですね。イギリス人、スウェーデン人の老後と比べ、日本人の老後に幸せ感が感じられないのはそんなところにありそうですね。
2022年05月31日(火)