アバンセライフサポート・会長のつぶやき

我々事業者の矜持だと考えます。

  「ロシアとウクライナの戦い」はいつまで続くのでしょうね。どちらが勝つのか気を揉む毎日ですが、実はもう決まっていますよ。ウクライナが最終的に勝つのは間違いありません。ウクライナの人口は約4,400万人、ロシアは約1億5,000万人です。GDP、国土面積や資源も圧倒的に優位なロシアですが、一時的な勝利はあっても数年先の結果は見えています。なぜでしょうか。これがロシアという専制主義国家体制の限界なのでしょうね。
  支配者が被支配者を独断的に統治する政治体制の場合、統制は簡単ですが、自分に都合の悪いことは隠そうとする情報統制や反発する人に対する粛清などで、国民は熟慮の上決定する力がなくなっていきます。体制に従順な人間になっていれば平和で安定した生活が得られる、そちらを選択する人たちが大勢になっていくのは仕方がありません。組織的な競争力はあっても創造性を必要としない社会は、政治的な配慮もあり、どうしても偏りがちで、国全体のバランスが悪くなります。専制主義国家の代表的な中国で過去にノーベル賞を受賞した(受賞時点で中華人民共和国国籍を有している)人は、平和賞の劉暁波氏と文学賞の莫言氏、生理学・医学賞の屠??氏の3名のみです。人口14億人を抱えるあの大国中国がですよ。やはり人は、言論の自由、人権、民主主義が保障されないと能力が発揮できないのですね。中国も専制主義による組織力や覇権主義の強みが生かせる現在がピークで、今後伸びていく上で必要とされる創造力、個人主義、民主主義下の幸せを求める内在エネルギーの発揮能力を受け止める度量は現体制では不可能、国民の民度が上がっていく今後どう変わるか、国として未来のとらえ方が問われています。しかし、変わることはあまり期待できず現状維持、そして衰退もしくは分裂の道をたどることになるでしょう。
  それでは、自由主義、民主主義の権化とも思われるアメリカ合衆国、ヨーロッパ、EUの人たちはどうでしょう。今年5月に亡くなった日系アメリカ人のノーマン・ミネタ氏(日本名:峯田良雄)は、静岡県からアメリカに移住した一世の子で二世の方ですが、アメリカ第33代商務長官(経済産業大臣)、第14代運輸長官(運輸大臣)まで登りつめ、日系のみならずアジア系アメリカ人として初めて米政府の閣僚となった人で、 2006 年大統領自由勲章、日本においても 2007 年旭日大綬章を受賞しておられます。この方は1942年ワイオミング州ハートマウンテン日系人収容所に送られ、3年余り収容所生活を経験しています。しかし、戦後市議会議員から国会議員、そして閣僚にまでなっています。アメリカの自由主義は欠点も多いですが、世界中から(中国からも)人が集まり、人々は発揮能力を高めようと競い合います。天井のない素晴らしい国がアメリカなのですね。どうせよそ者ばかり(もともといたのはインディアンだけ)の国、犯罪以外は何をすることも自由、しかしどこへ行っても競争が強いられるので、気の休まる相手や場所がない。だから精神科医師、精神衛生福祉士、セラピストがどこに行っても大流行り。しかし、競争から落ちこぼれた人たちは人生を諦め、人の目も気にならない。名誉も要らない。家族も要らない。希望なんてはなから持っていない。ヒッピーやホームレスは物を持っていると泥棒に盗られるから物も要らない。食べるもの、寝る場所さえあれば OK、だから何もかも諦めれば気楽、と考えると、人生を諦めればアメリカほど気楽な国はありません。階層社会がそれほどはっきりしてしまうと、オバマ元大統領がいくらがんばっても国民皆保険など出来るわけがない。日本はどうでしょうか。
  島国の強みというのか弱みというのか、農耕民族の私たちは何をするにも人の目が気になり、飛びぬけた人も出にくい。いっそ人生を諦めてしまえば良いのですが、ホームレスも恥ずかしいのでほとんどいない。生活保護は最後のセーフティネットで、恥ずかしがることなくもっと堂々ともらえば良いものを、人の目が気になり貧困母子家族の 10%程度しかもらう人がいません。不思議な牽制の働く国ですね。

  6月11日、あるボランティア団体から依頼を受けて講演をしましたが、テーマを聞くと、「介護と終活 高齢者福祉の現状~本当に2000万円も必要なのか?~」だと言うのです。定年まで勤め上げ、年金が20~30万円近い人たちが老後を心配しています。「ガンになれば余命が計算でき幸せだ」「在宅だと費用は月5~6万円で済むから行けるところまでそれで行くしかない」「主人が施設に入居すると月16~20万円必要なので、私は月5~10万円でどのようにして生きていけば良いの?」など様々なニーズ(不安、言い知れぬ恐怖感)を持っていらっしゃることが分かってきました。「起きて半畳寝て一畳、天下取っても二合半」という言葉があります。人間は立った時であれば半畳、寝ても一畳の広さしか必要ない。天下を取るほど偉くなっても、1 日に2合半の米があれば十分ということわざですが、それを言葉にしても不安は払拭されません。「林さん、以前は年金担保でお金を借りることができたけど、今はそれも出来ない。病気や事故、慶事であってもビクビク、ドキドキの生活だよ。」とまで言われます。生活保護は勤労所得の約60%で設定してあります。税金の戻し、そしてベーシックインカムと考え、もっと堂々ともらえば良いものです。我々は自助・共助を当たり前だと考えますが、公助のセーフティネットは憲法第 25 条 1 項の「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。」で保障されているのです。介護施設を経営しているとよく分かりますが、「人間は人の数だけ人生があり、様々な生き方があり、背負ってきた生き様が今を形成しているのです。どんな人でも人生の最後に帳尻を合わせて終わらせてあげるのは国の責務であり、我々事業者の矜持だと私は考えます。

  

2022年07月07日(木)

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