アバンセライフサポート・会長のつぶやき

違った社会観が必要となりそう

  思い切り古い話ですが、ネアンデルタール人(ホモ・ネアンデルターレンシス)は、約40万年前に出現し、約4万年前に絶滅したと考えられています。同時期に生存した現生人類(ホモ・サピエンス)は、現在まで生き残り、かつ勝ち残り、世界を闊歩していますが、なぜネアンデルタール人は絶滅したのでしょうか。
ホモ・サピエンスより筋肉量が多く、骨格もしっかりしていたネアンデルタール人が滅び、虚弱で本来なら絶滅するだろうと思われたホモ・サピエンスがなぜ現在の栄華を極めることになったのでしょうか。この二つの種は交配も散見され、ホモ・サピエンスがネアンデルタール人を絶滅に追いやったような激しい生存競争、争いの痕跡、そして氷河時代のような環境の激変はどれだけ遺跡発掘をしても出てきません。現在の研究では両者とも石器を使いこなし、ボディペイントを施し、原始的な装飾品を身に着け、壁画など私たち現代人より遥かに素晴らしい美術センスがあったようです。違いがほとんどない中で少しの違いがあるようで、ネアンデルタール人の住居にはイヌがほとんどおらず、ホモ・サピエンスの住居近くにはイヌの骨が見られ、イヌを家畜化し、狩りや留守番に使っていたと思われます。それらを類推して(とんでもない飛躍ですが私の推論ではありません)学者の先生方は、ホモ・サピエンスはシンパシー、共感、協働の能力がネアンデルタール人より高かったことで大きなコミュニティ、組織体をつくり上げることが可能となったが、一方、家族や同質性の高いコミュニティから脱皮できなかったネアンデルタール人は消滅するかホモ・サピエンスに吸収されていったと考えています。何となく腑に落ちる説ですね。

   

  共感、協働のDNAで発展を遂げたホモ・サピエンスも人口70億人を超え、よもや21世紀の世に起こるはずがないと思われた全面戦争がウクライナに起こり、ロシアと根っこを同じくする専制主義の中国は、近未来に台湾、ミャンマー、中東、アフリカを我が物にしようとしています。専制国家には膨張本能があり、やめられない止まらない状態になるのですね。一方、日本の私たちは民主主義国に組み込まれ、これも問題の多い社会体制ですが、資本の多寡で競争の優劣や賃金が決まり、1 億総中流だった国なのに最低賃金が生活保護給付を下回る、弱い人が限りなく弱くされ、強い人が限りなく強くなっていく国体ですね。今後年金受給額は上がることがなく、介護保険は下がることの無い国です。世界ではこの民主主義国が3分の1、次に専制国家が3分1で、残りの3分の1はノンポリ国家となっています。ノンポリ国家は、「平和が一番、難しいことは誰かが決めてください」、楽で良いですが牽制が働かないので必ずと言って良いほど政治が腐敗し、汚職が蔓延します。自分たちが幸せであればそれが全て。アフリカ、南太平洋諸国、東アジアの国々などはそのように考える国が多い。これも困ったもので、お金さえもらえればどちらにも向く。スリランカ、カンボジア、ミャンマー、南太平洋の一部の国など、奴隷国家かと見紛うほどに成り果てた国まで出現しています。3 種の異なった思想が現代の地球を支配していますが、残念ながら人は関心のあるものしか見えません。だから自分の国、自分の会社が社会の方向と違っているなんて思わない。見たくないものは無意識に見ないのです。全て自分の周りの共感、シンパシーが基軸になり、価値の基準、人生観になるようです。施設の職員から「皆がそう言っている」と言われ、調査してみるとその人ともう一人だけの意見で、残りの人は全て訴えた人と意見が違ったことがありますが、小は2人から、大は国を越え地球レベルの連帯まで、共感、協働は広がります。ホモ・サピエンスの強さは、別の意味での弱さに繋がります。ホモ・サピエンスが滅亡して適応可能な別の種に置き換わるのも一つの種の生存と考えればそれも OK と考えるのか、潰し合う社会ではなく違った社会観が必要となりそうです。

  近頃SDGs(持続可能な開発目標)が叫ばれるようになりましたが、SDGsは新しい価値観・人生観です。地球丸をどう守るのか、人種、思想、貧富を越えた生存をどう担保するか、孫子の代にどんな地球を残すのかというのが人類全てに共通するテーマです。誰もが自分や自分の子ども、孫は可愛い。愛が共感値になっています。案外 SDGsが次の時代の共感になるかもしれませんね。あくまで私見、つぶやき、ぼやきです。

  

2022年09月06日(火)

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